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2023年6月2日金曜日

【海外生活】フランス留学初日のワクワクと不安:新たな世界への一歩

 南フランス在住自分軸天命サポーター下村智子です。

今回は私の昔話です。

私がフランス語の勉強を始めたのは、「一年後に退職してフランスに一年間語学留学する」と会社に伝え、OKの返事が出てからです。(仕事が好きで職場の人たちも最高だったのに退職した理由は今回の主旨から外れるので割愛します。)


早朝の仏語会話講座に登録し、フランス人の先生とたった二人の生徒だけという贅沢な環境に身を置きました。出張で欠席する以外は週に2回積極的に参加しました。


携帯電話などはまだ一般的ではなく、お金はトラベラーズ・チェック。日本の大手旅行会社で2日分のホテルも予約済み。留学準備は万端です。


1995年10月、待ちに待った出発日。この日の両親の顔はしっかり覚えています。留学は一年の予定だったけれど、今生の別れかもしれないとしっかり焼き付けましたから。


そしてパリ到着🌹。フランス生活初日、私の留学の始まりです😆。


地下鉄は以前の旅行で経験済みだったので、ホテルへの移動には困りませんでした。ですが地図を読むのが得意な私でも、なぜかホテルが見つかりません。パリの石畳は重いスーツケースを引きずりながら歩くにはとても不便で、さらに日没後だったので辺りはますます暗くなっていきます。通行人やお店に尋ねても、探しているホテルは見つかりません。


海外生活で最初に直面する問題は、些細なことです。ホテルに電話したくても、公衆電話の場所もわかりません。やっと見つけても、小銭が手元にありません。以前旅行したときに見た美しいパリの街並みやおしゃれな通行人たちとは対照的に、留学初日の私は公衆電話すら使えず、道に迷いながら一人で悪戦苦闘していました。夜9時過ぎのパリは私にとって怖すぎる場所だったのです。


運良く、巡回中の軍人さんが来てくれました。大きい銃を抱えていたのでドキッとしましたが、こちらも野宿だけは嫌だと必死です。私が一年間勉強した仏語は全く通じず、英語のほうがマシというレベル😞。あまり覚えていませんが、ホテルの予約表を見せ、ここに行きたいと指さしていただけだったかもしれません。


困った彼らは通りすがりのタクシーを呼び止めて聞いてくれました。実はホテルの名前と電話番号は合っていたものの、住所が間違っていたのです。私は住所を頼りに行動していたため、見つかるはずがありませんでした。そのままタクシーに乗せてもらいました。ぼったくられるのではないか?変な場所に連れて行かれたらどうしよう、と不安が頭をよぎりましたが、他に頼る方法もないので覚悟を決めました。(運転手さんは私を和ませようとカタコト日本語で笑わせてくれました。)


夜10時半を過ぎて無事にホテルにチェックイン。笑顔で迎えられ、鍵を手渡され、部屋に入りました。安心感に包まれた瞬間、涙が溢れ出しました。こんなに怖い思いをしてまで、なぜこんな遠くに来たのだろうという不安が心を襲い、なかなか眠ることができませんでした。


翌日は、知人の知人の知人と会う約束がありました。その方はパリで法学関連の博士論文を執筆しているとのこと。カフェでスマートに注文をするその方はとても輝かしく、飛行場からホテルまでの移動で疲れ果てた私とはまったく違う存在でした。しかし、せっかくなので南仏行きのTGVのチケット購入まで手伝ってもらいました。


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フランス生活初日はハラハラ・ドキドキな出来事が重なりましたが、それによって新たな経験や出会いが生まれました。初日の困難な経験から学んだことは、日本では簡単に解決できそうな些細ことが、ここでは通用しないということ、でも親切な人はやっぱりどこにでもいて何とかなる‼ということ。パリの夜の闇を思い出しながら、私は進んでいく覚悟を決めたのです。


フランス生活の始まりにおいて経験した些細なトラブルは他にもたくさんありました。(シャンプーがほしいのにリンスを買ってしまった、切手一枚買うのもドキドキ、もっとフランス語ができる人と再度来てくださいと言われ続ける, etc...)


私が経験したトラブルは、インターネット時代の今日では無縁のことかもしれませんが、どういう気持ちを味わったかなど、参考になれば幸いです。 


お読みいただきありがとうございました。感謝いたします。