最近、私はちょっとした落ち込みを経験しました。
幼少期に言いたいことを言っていなかったことがトラウマとして私の中に未だに残っており、その問題は深刻で自力では解消できないと言われたのです。
トラウマがあるということが1つ目の👊
自力解決は無理というのが2つ目の👊
それからというもの、自己否定のループにはまり、自分自身の失敗や欠点だけが頭に浮かぶようになりました。自分軸サポーターとしての自信もなくなり、布団の中で身を縮める日々が続いていました。そんな時、私は人生まるごと開花グループのメンターさんたちに助けを求め、少しずつ回復の兆しを感じています。
このブログでは、私がどのようにして落ち込みから抜け出したか、そして幼少期のトラウマと向き合ったかをお話ししたいと思います。もし同じような悩みを抱えている方がいらっしゃったら、参考にしていただければ幸いです。
幼少期のトラウマを思い出す
一般的に言われているように、多くの問題は幼少期(3〜6歳)の感情体験に起因しているとされます。私もその頃の記憶をたどってみました。そして、思い出しました。
幼稚園に通うために路線バスに乗り換えて通っていたことを。しかも一人で。私は首から定期券を2枚下げて、いつも運転手さんのそばに立っていました。母は弟を背中におんぶして、毎日バス停まで迎えに来てくれました。「今日も一人で行って来れたね。えらいね。」母の温かい笑顔を見つけると、私は安心しました。帰り道ではいつも草餅や大福を買ってもらい、歩きながら食べていました。
たぶん、これが私が「母に褒められる、しっかり者の良い子」になった原点です。
もしかしたら、実際は一人でバスに乗ることが怖かったのかもしれません。いつも運転手さんのそばに立っていたけれど、乗り換える場所を間違えないようにドキドキしていたのかもしれません。でも、そんな不安な気持ちは大人たちには話していなかったです。
このことで「褒められているんだから、私はすごいんだ。本心なんて言う必要がない」という勝手な思い込みをして、本心を言わなくなった可能性は否定できません。
同じような経験はもう一つあります。(これも交通機関からみです😅)
小1か小2のとき、3つ下の弟と二人だけで東京から本家のある岡山まで新幹線で移動しました。このときのことはよく覚えていますが、迷子になったら嫌だし、誰かに声かけられるのも嫌なので、トイレにも行かず、緊張して座席に座っていました。40年近く前ですから、何時間そういう状態だったんでしょうね。^^;このときももちろんすごく褒められました。親戚一同に。
大人からの笑顔がかえって逆効果になるなんて考えたくはないですが、悪影響になるとしたら
・自己表現や自信の欠如
・他人とのコミュニケーション
の困難などにつながることが考えられます。相手の顔色をうかがい、自分の思いや意見を素直に伝えることができず、自己肯定感を低下させてしまうのです。
幼少期のトラウマと向き合う方法
さてこれからどうするか。
専門家のカウンセリングを受けてスッキリさせる?
専門家に一人で解決するのは無理と言われても、自分で何とかする?
私は今回は後者にしてみました。幼少期の経験がトラウマになっているかもしれないけれど、それも私の一部であることを認めつつ、現在の自分軸を信じて前に進んでいくのです。メンターさんたちも壮絶な過去をお伺いし、その時どう対処していったかを具体的にお聞きしました。そして私が得た結論は、
「その出来事がいつか笑い話になると信じ、今の自分も思いっきり信じて立ち上がる」
ということです。
まとめ
私達は落ち込んだ時、様々な悪い要因を探そうとしてしまいます。過去のトラウマがあったとしても、今現在の人格や自己価値を決めるものではない思うのです。私たちは成長し変化できる存在であり、過去の出来事に縛られることなく、自分自身を受け入れ、自分の可能性を信じていいのです。あなたは今のままのあなたで充分素晴らしい存在です。ポンコツな部分も含め、どうぞご自分を思いっきり抱きしめて上げてください。他人に認めてもらう前に、一番身近にいるあなた自身があなたを心底認めて上げてください。
私は今回ブログ記事を書くことで自分自身を見つめ直す機会を得ました。
皆さんも何か書くことや話すことがあれば是非試してみてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿