2017年6月10日土曜日

昇段審査、天に任せた合格記

試験でいい成績を残すこと
昇段審査に合格すること
etc...

いわゆる審査員から高評価をいただくには、コツコツ努力してきたことを本番で発揮すべきだ、だからこそいい評価がもらえるんだ!



ず----っとそう思っていました。


2017年3月に弓道の昇段審査を受けたのですが、いつもとはちょっと違う経験でしたので、書き記しておきます。

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私が弓道五段になったのはその14年前。
次のステップである錬士も機会がある毎に受審しておりました。

前年の夏に7回目の不合格となったときはさすがに落ち込みましたが、いい手応えもありましたので、一年後の合格を目指して技術だけでなくメンタルトレーニングも行ってきました。

錬士の審査では1日に複数のテストを受けます。

実技一次、筆記、面接そして実技二次の4つ。

このうち特に重要なのは実技ですので、2本の矢を的に中てるために日々稽古を重ねます。


審査基規程にはこう記されています。
五段:射形、射術、体配が法に適い射品現れ、精錬の功、特に認められる者。
錬士:志操堅実にして弓道指導の実力を有し、且つ精錬の功 顕著なること。


弓道は矢を中てることを目的とはしていません。身体の動きに無駄がなく見た目も美しければ矢は自ずと的に中たると言われています。射には心の迷いやその人の性格もはっきり出てしまうので、道場以外の人間修行も気が抜けません。

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クリスマス前に次の審査の申込みをしました。
場所は何度も稽古したことのある福岡の道場。
日程は3ヶ月後。



審査の一週間前にフランスを出発。
技術的にも精神的にも万全で、福岡での稽古初日も満足できる射ができました。

(しっかり準備してきた甲斐があったゎ〜)


が、その場にいらっしゃった先生方(六段~八段、10人ほど)は気難しい顔でした。

「せっかくひと月も滞在するんだから、七日後の審査を目指すんじゃなくて、悪いところをとことん直しましょう。」

「肩は鎖骨と肩甲骨と繋がっていて鎖骨は胸骨ともつながっているけれど、それらが全然感じられない。」

「全てをもっと有効に使って、弓の力を最大限引き出して、矢を飛ばしなさい。」


頭ではわかっていても弓の抵抗力(約13kg)を受けながらでは身体はそう簡単に思い通りに動いてはくれません。

的中率はどんどん落ちていき、あっという間にゼロになりました。

引いている感触はそこまで悪くないのに、的の2m手前までしか飛ばなくなりました。矢が地面にガサッと落ちる音がするなんて錬士を受審するには論外のレベルです。
(;´д`)トホホ…


一週間の間、先生方のご指導を受けながらあらゆることを試しました。

射形は少しずつ良くなっているのに、矢は1本たりとも的まで飛んでくれませんでした。

(中らなくてもいいけれどせめて的の横には飛んで欲しい。)
(審査のときに掃き矢のガサって音はたてたくない!!!!)


審査の前日には昔大会で培った姑息な手段を使ってみましたが、状況は全く変わりませんでした。


30年弓道をやっていてここまで落ち込んだのは初めて。調子が悪いときも多々ありますが、かすかな希望まで見失ったことはありませんでした。

なのにこの日はお先真っ暗。

ここから逃げ出したい ! 道場が火事にならないかしら !!
とまで思いながら21時過ぎまで練習しましたが、解決方法は見つからず、、、。

万策尽きたことを認めざるを得ず、涙が止まりませんでした。

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審査当日。鉛のように重い足、泣き腫らした目で会場に行きました。


五~八段そして錬士の審査を約500人が受審します。


会場到着:朝7時すぎ
筆記試験:11~12時
一次審査:17時過ぎ
口頭試験:一次通過直後
二次審査:19時過ぎ

錬士審査は五~八段の審査が終わったあとに行われます。なので待ち時間がと〜〜っても長く、緊張感や体調をしっかり管理していないといけません。これこそ指導者として求められることでもあるのです。


筆記試験では得意なことが出題されて大満足。
ここで昨日までの稽古で落ち込んでいた心が少し上向きになりました。


次の出番まで約5時間。

他の受審者の射も見ましたが、地面にガサッと落ちる掃き矢など殆どありません。   


(ヤバッ!私大丈夫か?)

焦りと不安が再び襲ってきました。
大波となって。🌊

・今度こそ合格だ!と自信があったのに。
・ここ一年はかなりしっかり準備してきたのに。
・トータルで30年もやっているのに。
・錬士の審査は既に8回も受けているのに。
・自宅に道場があるから稽古もいっぱいやってきたのに。
・やっぱり外国で弓道をやっているから上達はムリなのか?
・でもフランス人でたった10年で受かっている人もいるのに。
・やはり私には才能がないってこと?





ここで神のお告げが聞こえてきたらバッチリだったのですが、それは、なし。


ネガティブな感情ばかりが出てきて、頭も背中もどんどん垂れてきます。


・日本に来るのに飛行機代・新幹線代・ホテル代など経費がたくさんかかっているのに。
・家族にもいろいろ負担をかけて日本に来ているのに。
・長年ご指導いただいている先生方をまたがっかりさせてしまう。
・応援してくれているフランスの仲間もがっかりさせてしまう。
・ここで合格できれば称号者の仲間入りができて、違うレベルのセミナーに参加できるのに、不合格だったらまたお預けか、、、


前日までの稽古で不合格になる覚悟はできていたはずなのに、不安はどんどん増すばかり。


実力がないなら不合格で当然。


でも恥はかきたくない。


エゴの葛藤が続きます。


「私はこんな不安なまま審査を受けたくない。技術的には過去最悪。一体どうしたらいいの?全然わからなーーーい (ToT)」


今地震が起これば審査は即中止になる❗
火事、爆発でも中止になる❗


そんなことまで頭に浮かびました。(^_^;)

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実技審査1時間前。

控室には500人ほどの人がいたけれど、私は僅かな隙間を確保し、壁に向かって坐り瞑想を始めました。心の動揺を抑えることが大事なので恥ずかしいなどと戸惑う暇もありませんでした。そして思いつく限りのサムシング・グレートにお願いしました。


「ご先祖様、仏様、観音様、天照大神、天之御中主大神、キリスト、ヤハヴェ、大天使、小天使、妖精、ホーリースピリット、過去の弓聖人、大先生、月、太陽、金星、冥王星、宇宙全体、、、、。どうか私の心を鎮めてください。」


心身ともに「降参」したのを認め、頭も空っぽにして、文字通り「神頼み」してみたのです。





10分ほどしたら落ち着いてきて、腹式呼吸ができるようになってきました。そのまま続けていると周りの雑音が聞こえなくなり、心が空っぽになってきました。




そのあと ピーーンとひらめきました。





【今日この場で審査を受けられるというのは幸せなことなんだ】と。





今日も弓矢をとって行射ができる。
上手とか下手とかは関係ない。
矢がどこに飛ぼうと関係ない。
私は今生きていてこの場にいる。
そのことを存分に楽しもう。
他人にどう思われようと関係ない。


私が30年間続けるほど好きなんだ。
ただそれだけでいい。
それ以外何も必要ない!



この思いは心の奥底までスーッと届きました。そして不安は一気に小さくなっていきました。

目の前にあった暗くどんよりした雲は消え、心は信じられないほど晴れ晴れしくなりました。

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召集がかかり控えの椅子に坐ります。審査の運営スタッフは知っている先生方ばかり。あっちを向いてもこっちを向いても目で頑張れよとおっしゃっています。


「矢道に刺さろうが屋根の上に飛ぼうが関係ない。堂々とやってこい!」
と送り出してくださいました。

いよいよ本番。


左足から入場。
5人立の代表(大前)として審査員長に深い礼をします。

後ろの5人と息合いをあわせながら自分の立ち位置に進みます。
作法通りに襷掛けをして、弓矢を構え、、、

途中で手足が震えそうになりましたので
「神様仏様、あとはよろしく!」
と祈り、周りの景色を遮断しました。


幅1m × 長さ28mのなが~~~い廊下に自分と的だけがある感じになりました。


弓の力を身体で受けて、自分からも弓と矢に命を吹き込む。
ただそれだけを味わい、集中しました。


自分がどんな動きをしたのかは全く覚えておりませんが、今この場に立てていることへの感謝が再び湧き上がってきました。



一本目の矢は的の真ん中に飛んでいきました。
見事に中ったのです。🎯

自分でも驚きました。😳

残心での余韻もすごく、武者震いしました。



5人のリズムは最高によく、スムーズに私の順番が回ってきました。

二本目の矢は外れてしまいましたが的の近く。
掃き矢で大恥をかく覚悟をしていたので私にとっては大満足の出来でした。

退場時のお辞儀には「これが今の私の射です。精一杯やらせていただきました。ありがとうございます。」という気持ちを、素直に込めることができました。

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前日までが最悪な状態でしたので一次審査を通過した時は本当に驚きました。


先生方にも後輩たちにも素晴らしい射だったと言ってもらえましたが、自分では何をやったのか全く覚えておりません。

頭で考えながら身体をコントロールしてもどうせ掃き矢だ。
ならば今日までの30年を信じて楽しもう!
ただそれだけでした。

二次審査が行われたのは19時半。
外は真っ暗気温は7℃、風あり。

手足の感覚もなくなっていたはずですが、射場に入ると寒さも緊張感も感じなくなりました。

その場にいることがただただ幸せで、他の4人のメンバーと一体となったような感覚で行射することができました。


この日錬士を受審したのは160人。
一次合格者13人。
最終合格者6人。


私も合格できましたが、正直信じられませんでした。

技術的には最悪の状態でしたので「頑張った甲斐があった!ガッツポーズ!」というような心境ではありませんでした。

お褒めの言葉も頂いたので見た目は良かったのだと思いますが、身体がどう動いたのかは自分では全く覚えておりません。

なので狐につままれた気分がずっと離れません。😣

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今回の審査では、私は天に身を任せきれたのかもしれません。

意図的にそうしたかったわけではありませんが、最悪の状態が続いたのでそうせざるをえなかった。

他に選択肢はなかった。

もし最悪な一週間を経験していなかったら、ここまで心底手放すことはできなかったはずです。


という意味ではどん底の一週間に感謝しています。


今生きていること
弓と矢を手に持っていること
ただそれだけで幸せであること


期待や結果を諦めるのではなく「手放す」ことによって、自分がいちばん大切に思っていることに気づくことができました。


弓道歴30年という記念すべきときにこのような素晴らしい経験ができたこと、本当に嬉しく思っています。


余談① 合格後の稽古。
翌日から通常の稽古が始まりましたが私の矢はやはり的に届きませんでした。審査の時の奇跡をまた体験したくていろいろ試しましたが、どうにもなりませんでした。日本での稽古はその後3週間もあったのに95%が掃き矢のまま。期待を手放すというのはどん底という実感があったからこそできたのかもしれません。

余談② 審査の朝。
最悪の状態でしたがいつもお世話になっているオラクルカードを引きました。
出たのは「一発大逆転」。

思いつくのは審査合格ですが、まさかねー。技術的に全く自信がなかったので「そんなことあるわけないやん!」と現実的に捉えていました。

ですが終わってみるとまさかの合格。

「偶然ではなく全てが必然」とはよく言われることですが、何気なく引いたカードに書いたあったことが現実となり、幸せ感に包まれました。



お読みいただきありがとうございます。

感謝いたします。

2017年5月29日月曜日

弓の梱包② Voyage avec des arcs japonais

Une autre idée de l'emballage des arcs japonais pour voyager en avion.

- une boite en carton (à acheter au magasin de kyudo)
- un pegboard
- des ficelles
- des morceax en bois ou en plastique (pour garder la hauteur)

国際線を利用する際、大切な弓をしっかり梱包できるこの方法もおすすめです。

- 弓発送用の箱(弓道具店にて)
- ペグボード
- 紐
- 高さを支えるもの(木片、プラスチックなど)


今回は四寸伸の新弓でしたので念には念を入れて梱包しました。






















ボードの穴を利用すれば、いろいろ固定できます。
せっかくなので大きな破魔矢も入れました。














この方法はとても頑丈ではありますが、持ちにくいです。
背が小さい私は片手では持てません。

数人で行動するなら、おすすめします。


この情報がどなたかのお役に立てば幸いです。

ありがとうございます。
感謝いたします。☺






弓の梱包① Voyage avec des arcs japonais

Voici une idée de l'emballage des arcs japonais pour l'avion.

【国際線搭乗時の弓の梱包について】

欧州〜日本間は縦・横・高さの合計が300cm以内という航空会社もありますし、地方便で小型飛行機になるともっと制限される場合がありますので、事前にきちんと確認することをおすすめいたします。


私はここ数年はこの方法で梱包しています。

- 家庭用プール・INTEXのホース(竹弓用)
- 包帯(幅広で長いものを5−6個)
- 厚手の弓袋(ハンドメイド)
- 引っ越し用ラップ

今回は竹弓2張、カーボン1張、グラス2張です。

竹弓は形がそれぞれ違いますので包帯で丁寧に巻き、できるだけ成りをあわせます。
カーボン弓とグラス弓の2張も包帯で巻いて成りをあわせます。
5張まとめてさらに包帯で巻きます。これでかなり頑丈になります。
太くなった弓に矢筒も巻きつけます。






竹弓はホースの中に。
















包帯巻きつけ終了。正面から撮影。



















側面。













ラップで全部を包んでみました。





ラップは上下だけの時も。
















重   量 : 7,5 kg
サイズ : 260cm x 15cm x 20cm。

Air Franceはイレギュラーサイズでも3Dが300cm、8kgまでということなのでギリギリセーフです。

別料金、片道80€かかります。

何か聞かれたときのために、スポーツ用品と証明できるもの(大会申込書、連盟パスポート、写真など)も常に携行しています。




どなたかのお役に立てば幸いです。
m(_ _)m






2016年11月25日金曜日

フランス人からの質問で私が一番怖がっていたこと③ 仮の自分像が本当の自分になる



フランスに来て数年間、

私は


奥様業と母親業以外に自分のやりたいことが特になかった。


というか、


それだけで既に充実していたし、

それ以外のことをやるなんて

考えてもいなかった。



そんな私にとって、

フランス人からの質問;

« アナタガ ヤッテイルコトハ ナーニ? »

は、とても怖いことでした。



自分が無能であること、

私自身というものがないということ

を見せつけられるような恐怖。


(今考えると私の勝手な思い込みだったのですが、)



当時の私はそれが精一杯。



無意識のうちにササッと蓋をして、完全防御。


心が空っぽだということを見ないようにしておりました。




フランス人に私の存在価値を認めてもらうために、

私は日仏の架け橋をする

という道を選びました。


それ以外にできることはないんだから、

とにかく実績を作らないと!!


(ここまでが①と②のまとめです。)

・・・・・・・・・・・・・


そう決めてから私は、困っている人がいると、即飛んでいき、ご相談に乗っておりました。


- 2時間ほどお話するだけで心が楽になった方。

- たった一度バスの乗り方をお教えしただけでフランス生活が劇的に変わった方。

- 大家とのトラブルも話してみたら大したことなく穏便に解決できた方。

- 手足がしびれていたけど、すぐ病院に連れて行けたので、大事に至らなかった方。

- 息苦しいから救急車を呼んで欲しいと言われたけれど、話している間に落ち着かれた方。

などなど


少しずつ実績が増えていきました。


それと同時に

フランス人にも

以前よりは自信を持って

「日仏の架け橋をしています。」


と言えるようになりました。



「こんな私でも、人の力になれるんだ!」


と、自分の中にも充実感がうまれてきました。

・・・・・・・・・・・・・


私のことを占ってみると、


誠実、信頼、真剣、責任感、嘘が嫌い

などの文字が頻繁に出てきます。

そういう性格もありまして、


日仏の橋渡しを何年も何年もやり続けているうちに

友人・知人にも信頼していただけるようになりました。


「お子さんについての相談事?とりあえずむっちゃんに連絡を。」

「フランス人とのトラブル?それもまずはむっちゃんに連絡を。」


という状況になっていきました。





ご相談の依頼はどんどん増えていきました。(⌒▽⌒)




内容も多岐にわたってきました。

- 同行通訳

- 翻訳(特に武道関連)

- 子育て相談

- 日仏言語教育相談

- 日本語個人レッスン

- パソコンメンテナンス(仏日)

- パソコン修理・部品交換

- 日本語書籍預かり・貸し出し

- 日仏関連イベント補助

- イベント宣伝

- 水道・電気などの簡単な修理(主人と)



我が家は何でも屋さんになりつつありましたが、

自分にできることがある!という充実度も

どんどん増えていきました。(^_^)


(続く)


フランス人からの質問で私が一番怖がっていたこと② 他人から見た自分像を作って自己防衛




フランス人からの質問で私が一番怖がっていたこと①
の続きです。



昔の私とフランス人との会話


« アナタガ ヤッテイルコトハ ナーニ? »

« エッ? オクサン ト オカアサン ノオシゴト ダケナノ? »

« アナタ ジシン ッテイウノハ ナイノ? »



こんなやり取りを何度も経験して、私が気づいた自分像は


ナーンダ、ツマラナイヒト。。。


そして、


ワタシニハ ミリョクガ ナイ 


というものでした。







奥様業と母親業は頑張っているけど、


« 自分のやりたいことに生きていない »





この思い込みは、その後の私を大きく縛りつけました。





まず、

「私のやりたいことって何?」

という問いに答えが出せませんでした。




【やるべきこと】はたくさんある。



それをやるのが私の役割なんだから、


それらがなくならない限り、


自分のやりたいことなんてできないでしょ。


やっぱり

母親業と奥様業を優先して


やらねば。



・・・・・・・・・・・・・・・・・


その後も初めて会うフランス人からは

« アナタガ ヤッテイルコトハ ナーニ? »


という質問が容赦なく続きました。



またきたよ~。(-_-)

またバカにされるよ〜。((-_-))




・・・・・・・・・・・・・・・・・


奥様業と母親業しかできない奴


と思われたくなくて、


私は


「日本とフランスの橋渡しをしています。」


と答えるようになりました。



細々とですが留学生のトラブル解決や翻訳などをしていたので、

あながち嘘ではありませんでした。



ですが当時の私は完璧主義者でしたので、(^_^;)

プロとして堂々とお金を頂いていたわけでもないのに、

日仏の橋渡しをしています、と言うなんて、


私は嘘つきだー。


と思っていました。




でも嘘でもそう言っておかないと、

私が無能者と見られてしまう。

それだけは何としてでも避けたかった。




仏文卒でもないし、フランス語レベルもまだまだ。


日本での学歴は通用しないし、

会社で培った営業力も、言葉が不自由なら無意味。

子どもを預かってくれる身内は、遠く離れたParisか日本。

ネガティブ要素なら事欠きませんでした。(^_^;)


自分のいいところなんて全然見つけられないのに、

それでも自分を守るためにフランス人に宣言できることは


【日仏の橋渡し】



それしかなかった。


本当にそれしかなかった。

(¯―¯٥)





・・・・・・・・・・・・・・・・・

フランス人から見下されるのが嫌で、

見栄を張って宣言してみる。

でも嘘っぽく感じてまた自己嫌悪。


この悪循環はいつまでも続きました。




ここから抜け出すにはどうしたらいいのか?





・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時の私が出した結論は、

嘘ではなく堂々と宣言できるように、

日仏の橋渡しを


「もうちょっと本格的にやろう!」


ということでした。

(続く)



フランス人からの質問で私が一番怖がっていたこと①


1995年秋、フランスへ留学しました。そのあと、今の主人と出会って結婚、そして第一子、第二子の誕生。
たった2年4ヶ月の間にこれほど多くの出来事を経験しました。

初めの頃はまだフランス語に不慣れでしたが、日々を充実させるために一生懸命努力しました。徐々に友人やママ友もでき、自身の奥様業や母親業に満足感を感じるようになりました。

しかし、私にとってそれだけでは十分ではありませんでした。フランスで初めて出会った人々からはさまざまな質問を受けました。「あなたはどこの国から来ましたか?」「日本のどこ出身ですか?」「フランスに来てどのくらい経ちますか?」「プロバンスでの生活はどうですか?」「日本が恋しくないのですか?」そして、最後に「あなたは何をしているのですか?」

当時の私は「主人は平日はパリで働いていて、子供たちも年子でまだ小さいので忙しくて…」と軽い気持ちで答えていました。しかし、この答えを聞くと、何人かのフランス人はがっかりしたような表情を浮かべ、会話が途切れることがありました。まるで私に興味を持たなくなったかのように感じられました。

日々楽しく充実していたけれど、子育てに忙殺される日々で自分自身のやりたいことにはなかなか時間を割くことができませんでした。私は一生懸命生きているのに、自分の魅力を発揮できていないとフランス人たちに思われていたのです。

(...と私が勝手に思い込んでいたのですが、それに気づくのはこれから15年以上先のことでした。)

続きは次回。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆さまへの感謝の気持ちでいっぱいです。


自分軸と天命を大切にし、ご家族や友人の自己成長をも支え、ともに国際的な人生まで導きます!




2016年11月23日水曜日

子どもと日本語環境。


【子どもには日本語を話すようになってもらいたい。】



国際結婚のご家庭では一番に考えることだと思います。



そのためには何ができるのか?


とりあえず思いつくことは、

常に日本語で話す。
日本に頻繁に帰省する。
日本語でたくさん遊ぶ。(本、DVD,Youtube etc)
日本人のお友達を作る。
日本語の家庭教師をつける。
ベネッセの教材で楽しく学んでもらう。

などでしょうか。



子どもたちが成人し、日本語能力試験の1級にも合格した今、


一番大切だったことは別のことじゃないかと感じています。



それは、、、


【周りにいるフランス人を
日本ファンにする!】




パートナーはお子様が日本語を学ぶことに異論はないとは思います。

でもそのご両親は?

ご親戚はいかがでしょうか?

学校のお友達は?

学校の先生は?



もしご近所や学校で「アジア人だ~」と指をさされるような経験をしてしまった場合、お子様はアジア人であることを隠そうとするかもしれません。



フランスでお弁当を持っていく場合、

お子様はおむすびを持っていきたいでしょうか?

お箸は?


「日本のお弁当は見られるし、いちいち説明するのが面倒だから嫌だ。」

「みんなと同じサンドイッチにして。」

「おむすびは恥ずかしいからやめて欲しい。」

ということはないでしょうか。



それらはもしかしたら


日本人であることを隠したがっているサイン


かもしれません。




「日本人であることが恥ずかしい」




たとえ無意識でもお子様がそう思っているのなら、

家庭での日本語にも消極的になってしまいます。


・・・・・・・・・・・・・・

うちの子どもたちはは現地校の校長先生のおかげで、アジア人だと指を刺される前に先手を打つことができました。


何をしたかというと、、、


小学校全クラスに
日本文化を発信

しました。

























折り紙
お習字
日本語での挨拶
日本の歌を合唱
日本の小学校の様子を紹介
地震についてのお話(高学年)
弓道デモンストレーション
日本昔話



日本人留学生、日本好きのフランス人、合わせて7-8人が、

5日間毎日小学校に行き、

各クラスを訪問して日本を体験してもらいました。




質問タイムを設けると、みんな一斉に手を挙げます。

休み時間になってからも質問攻めでした。





最終日に全生徒からお礼をいただきました。その一つ。お習字体験で書いた字がここに!(¯―¯٥)











毎日日本を紹介しましたので、

フランス人の子どもたちも

毎晩両親に日本のことを話していたはずです。




身体も声もくたくたになった5日間でしたが、

終わった後の反応がものすごかったです。



子どもたちは、私を遠くからでも見つけて挨拶をしてくれるようになりました。


ご両親からも、

「子どもが生き生きして日本のことを話してくれた。私もとても嬉しい。本当にありがとう」

と何度言われたことでしょう。



うちの2人も学校でしばらくは質問攻めだったようです。

「折り紙やって~!」

「教えて~!」

「私の名前を日本語で書いて~!」

「日本の小学校ってどんな感じ~?」


そして、

わが家に遊びに来たいフランスのお友達が

ドーーーーンと増えました。

お誕生日会にも毎回20人。

(^_^;)



・・・・・・・・・・・・・・

まとめ。

この経験なくして我が家の子どもたちの日本語教育は成り立たなかったと思っています。


この経験があったからこそ、子どもたちは

安心して

日本語や日本文化に取り組むことができた


と確信しています。



日本語を学ぶには本や教材などの【道具】も大切だとは思いますが、


その前に、


時々は



お子様が心から安心して取り組める環境ができているかどうかに目を向けてみるのもいいかと思います。



お読みいただきありがとうございます。

私の経験がどなたかのお役に立てば幸いです。
m(_ _)m