2017年9月28日木曜日

ユダヤ人パートナーがいらっしゃる方:知っておいて損をしないと思うこと

ユダヤ教徒の方々(正統派)と接する機会のある方のために記しておきます。

長い長い年月、教科書に出てくるだけでは到底理解できないほどの歴史を重ねている方々なので、きちんと敬意を払いたい。でも一般に出回っている書物だけではわからない点がたくさんあります。

「できるだけ失礼のないようにユダヤ人と接したい。」

そう思ってくださる方のために書きます。


日本人である私は過去20年の関わりの中で「こうして欲しい」「私たちはこうはしない」など一言も言われたことはありません。



ですが「あれ?様子が変だな」と感じることは多々あるので、相手に質問をしてみます。

すると、

「実は私たちはこれはしない。」
「私たちはこうやっている。」

と説明をしてくださるのです。自主的に説明を受けることはありませんでした。
無知の私が傷つくことがないように、あれこれ言わない。でも自分たちのこともできるだけ主張せずに、かつ自分達の決まりも守る、そんな印象があります。

私は異教徒なので決まりに従う必要はありません。

ですができるだけ違和感がないようにしたいという気持ちはずっーーとあります。

一緒にいる時は相手にもできるだけ快適な時間を過ごして欲しいと思っています。



以下、冷やかし、中傷は一切お断り。
同じような立場の方のお役に立てばと思って書き記しますので、良いとか悪いとかのジャッジも一切お断りいたします。





・ご自分の家族以外の異性には「一切」触れない方もいらっしゃいます。挨拶時に握手、Bisousの習慣が身についている人は注意しましょう。

私は相手より先に握手の手を差し出してしまったことがあります。相手も握手してくださいましたが、後になって他の方から「あの人は家族以外の女性には触らないんだよ」と指摘されました。すぐ奥様に謝りに行きました。もちろん笑い話としてさらっと流してくださいましたが、それ以来、ユダヤ人男性と挨拶するときは相手の出方を待つことにしました。手を出してきたら握手するし、頬を近づけてきたらBisousをしています。

「私は日本人だから日本的に」という前置きをしてお辞儀だけで済ませる、というのも一案ですね。


・正統派女性の服装;鎖骨、ひじ、膝を見せない服装が多いです。ズボンではなくスカートが主流。シナゴーグに行く場合は頭を隠すものがあったほうがいいでしょう。(帽子、スカーフ、かつらetc...)

私はユダヤ人ではないのでそれらを守る必要はありませんが、シナゴーグに行く場合、そして正統派の方も参加するイベントの場合はズボンは避けて膝下のスカートにしますし、頭も隠しますし、ジャケットやカーデガンで肘を隠しています。鎖骨は大きめのアクセサリーで隠すというのも一案。

透け感のある生地ならば、その下にもう一枚着ておきましょう。

小さな女の子も年中長袖、スカート、タイツ。

40度の日が続く夏のISRAELでもそうです。

女性の水着は?
イスラエルでは長〜いスカートの水着が売ってありました。


パーティーでデコルテを着るのは避けています。(経験済み(^_^;))

ひざ上スカートも避けています。(経験済み(^_^;))





・ユダヤ人のお葬式に行く場合、近親の場合は頭に被るスカーフ必須。そして革製品ではない靴を履きます。

お葬式の場合、喪主とその家族ははじめから頭に何か被っていました。帽子だったりkippaだったりカーフだったり、、、。それ以外の参列者は式の前には何も被っていなくても、お祈りが始まると同時にバッグから取り出して頭にかぶり始めました。

喪主や家族は革製品を身につけないというのが必須のようです。身内のお葬式に行く際、他の兄弟から言われたことがあります。「革のバッグ、ベルト、靴、コートなどを持ってくるな。」と。


靴は革製品でないものを探すのは結構大変です。(^_^;)

当日チェックしたところ、NIKE、ADIDASなどの運動靴の他にはCONVERSE、PALLADIUM、PATAUGASなどを見かけました。

不幸は突然やってきます。生粋のユダヤ人の配偶者がいらっしゃるのなら、一応チェックしたほうが良さそうです。


・キッチン道具;お肉用とそれ以外とをきっちり分ける方がいらっしゃいます。

お鍋、食器、まな板、包丁、、、お肉用とそれ以外の二種類を持っていらっしゃいます。流し場もお肉用とそれ以外の2ヶ所あります。


一つの家にキッチンが2つあるというイメージです。

ですので、ユダヤ人のご家庭に行った場合、食べ終わったお皿を流しに運ぶ際はご注意ください。朝ごはんは牛乳やバターを使ったのでこちらの流し場、夜ご飯はお肉だったからこちら、というように全然扱いが違います。

間違えてしまったら、その食器は処分される事になります。

例外もあります。
銀製品は○分間煮沸消毒すればOKだということです。


ガラス透明ならばどちらにも使えるようです。

お皿の洗い方ですが、私はプラスチックの大きな桶(新品)を用意し、肉製品を扱った場合はその桶の中で洗っています。


普段はそんなことをしていないわが家ですが、ユダヤ人をご招待する場合に備えて、紙皿か透明ガラスの食器は常に用意してあります。



・生粋のユダヤ人が火を付けたものでないと食べない方がいらっしゃいます。

料理をする際は、電気コンロやIHなどを使いますが、その点火はできるならユダヤ人が行うほうがいいと思います。IHなどは指でそっと触れるだけなのですが、ユダヤ人が行うのがいいようです。

生粋のユダヤ人に火を付けてもらえない場合、その加熱料理を食べてもらえないこともありえます。生のお料理は誰が準備してもいいようなので、野菜サラダ、ツナ缶、スモークサーモンなどをユダヤ認定Cacherのお店で用意しておきましょう。



・卵を使う場合、倍ぐらい余計に買っておくことをおすすめします。

まずひとつづつ透明のコップに割り入れて、鳥の血が混じっていないかを全角度から確認して下さい。

一滴でも血が付いていたらその部分だけを取り除くのではありません。一個まるごと破棄されます。だから運が悪いと1パックの半分も使えないことがあります。



私の失敗談を記しておきます。


ユダヤ人の主人と結婚して18年の頃。食のしきたりはほとんど頭に入った。お皿やお鍋は肉用と乳製品用と既にちゃんと分けているし、何年何年もやってきているのでこれで完璧!と。


ある夏、張り切ってBBQの準備をしていました。それを聞きつけたおばが電話してきました。

「私たちは何でも食べるから大丈夫なんだけど、一緒に来る○○さんは違うのよね〜。あなたの旦那さんにコンロのスイッチ押してもらっていい?じゃないと○○さんは何も食べないわよ。」

・・・
・・・
・・・


え?じゃあ、私が火をつけたものは、一切食べれないってこと?18年も関わっているから知らないことはない!と思っていたのはただの思いあがりだった
。_| ̄|○ il||li

こっちも真実を知ってしまったからには嘘がつけません。

主人に点火を頼んだところ、「そんなの初耳だ!差別だ!」と怒り出してしまいました。

結局、事を大きくしたくなかったので生野菜、缶詰など、火を通さない料理でおもてなしをしました。(^_^;) 


・休息日にしてはいけないこと。

- 筆記具を使わない。
備忘録のメモは取れません。頭の中にメモしておいてください。得点を競うボードゲームもメモ禁止。暗算で対応してください。


- 外出する時は物を持たない。
散歩に行くにもご近所さんに遊びに行くにも、シナゴーグに行くにも、手ぶらです。雨が降っていても傘は使いません。

家の鍵はベルトや髪飾りと一緒につけて「装飾品」として扱います。


- 電気のスイッチを
押さない。
トイレ、玄関の呼び鈴、携帯電話、TV、コンロ、エレベーター
etc...
日常業務を完全にストップしてその時間を祈りに捧げるという休息日です。自分が何かをすることでエネルギーを消費しないようにするためだと聞いたとこがあります。

トイレ、廊下などの電気は夜中もつけっぱなしにしておいてあげてください。自宅のアパートに入る暗証番号も押さないようですので、もし建物の入口に正統派の方が立っていても怪しまないでください。誰かがそのドアを開けてくれるのを待っているだけですから。

休息日には妊婦の方もエレベーターは使いません。さり気なくその方の行きたい階まで連れて行ってあげてください。

忘れてはいけないのが冷蔵庫内の電気。開けたら点いて閉めたら消える小さなランプです。休息日には開閉時に点灯しないよう、テープで止めるなどの仕掛けをしておいてください。

休息日とは言え、食器は洗います。ただしスポンジは使いません。ぎゅーっと絞るという動作を避けるためです。ビニール手袋をつけて洗ってください。なければ素手で。20人分だろうが30人分だろうが、食洗機は使いません。素手で洗って素手で拭きます。(^^)



休息日はお祈りをする、本を読む、人とお話をするなどの過ごし方があります。夏に実家で休息日を迎えたことがありました。せっかくだから読書するぞ!と張り切っていましたが、紙書籍を持っていっておらずKindleのみ。正統派さんの前でiPhoneを使うなんてさすがにできず、1ページも進みませんでした。(^_^;)






とりあえず以上。
また思い出したら書き加えます。


血筋的にはユダヤ人だけど実生活では戒律を意識しないで普通に生活している方はたくさんいらっしゃいます。ですが、そのご家族はしきたりをきちんと守っていらっしゃるかもしれません。

日本人としての暮らしの中では想像もできない決まり事がいろいろあります。



街が一番賑やかであろう土曜日に、彼らは休息日として規律をひたすら守って暮らしています。信仰深い彼らがシナゴーグで祈る姿は、それはもう言葉に出来ないくらい素晴らしく、感動します。

私は経典を読んだわけでもないですし、生活習慣のほんの一部しか知りません。彼らのお邪魔にならないように、彼らから見て違和感が少しでもないようにと思いながら、できる範囲で対応しています。

繰り返しますが、この記事に関して良い悪いの判断、冷やかし、中傷誹謗一切お断りいたします。

この記事がどなたかのお役に立てれば幸いです。


お読みいただきありがとうございました。
感謝いたします。m(_ _)m









2017年6月10日土曜日

昇段審査、天に任せた合格記

試験でいい成績を残すこと
昇段審査に合格すること
etc...

いわゆる審査員から高評価をいただくには、コツコツ努力してきたことを本番で発揮すべきだ、だからこそいい評価がもらえるんだ!



ず----っとそう思っていました。


2017年3月に弓道の昇段審査を受けたのですが、いつもとはちょっと違う経験でしたので、書き記しておきます。

=============

私が弓道五段になったのはその14年前。
次のステップである錬士も機会がある毎に受審しておりました。

前年の夏に7回目の不合格となったときはさすがに落ち込みましたが、いい手応えもありましたので、一年後の合格を目指して技術だけでなくメンタルトレーニングも行ってきました。

錬士の審査では1日に複数のテストを受けます。

実技一次、筆記、面接そして実技二次の4つ。

このうち特に重要なのは実技ですので、2本の矢を的に中てるために日々稽古を重ねます。


審査基規程にはこう記されています。
五段:射形、射術、体配が法に適い射品現れ、精錬の功、特に認められる者。
錬士:志操堅実にして弓道指導の実力を有し、且つ精錬の功 顕著なること。


弓道は矢を中てることを目的とはしていません。身体の動きに無駄がなく見た目も美しければ矢は自ずと的に中たると言われています。射には心の迷いやその人の性格もはっきり出てしまうので、道場以外の人間修行も気が抜けません。

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クリスマス前に次の審査の申込みをしました。
場所は何度も稽古したことのある福岡の道場。
日程は3ヶ月後。



審査の一週間前にフランスを出発。
技術的にも精神的にも万全で、福岡での稽古初日も満足できる射ができました。

(しっかり準備してきた甲斐があったゎ〜)


が、その場にいらっしゃった先生方(六段~八段、10人ほど)は気難しい顔でした。

「せっかくひと月も滞在するんだから、七日後の審査を目指すんじゃなくて、悪いところをとことん直しましょう。」

「肩は鎖骨と肩甲骨と繋がっていて鎖骨は胸骨ともつながっているけれど、それらが全然感じられない。」

「全てをもっと有効に使って、弓の力を最大限引き出して、矢を飛ばしなさい。」


頭ではわかっていても弓の抵抗力(約13kg)を受けながらでは身体はそう簡単に思い通りに動いてはくれません。

的中率はどんどん落ちていき、あっという間にゼロになりました。

引いている感触はそこまで悪くないのに、的の2m手前までしか飛ばなくなりました。矢が地面にガサッと落ちる音がするなんて錬士を受審するには論外のレベルです。
(;´д`)トホホ…


一週間の間、先生方のご指導を受けながらあらゆることを試しました。

射形は少しずつ良くなっているのに、矢は1本たりとも的まで飛んでくれませんでした。

(中らなくてもいいけれどせめて的の横には飛んで欲しい。)
(審査のときに掃き矢のガサって音はたてたくない!!!!)


審査の前日には昔大会で培った姑息な手段を使ってみましたが、状況は全く変わりませんでした。


30年弓道をやっていてここまで落ち込んだのは初めて。調子が悪いときも多々ありますが、かすかな希望まで見失ったことはありませんでした。

なのにこの日はお先真っ暗。

ここから逃げ出したい ! 道場が火事にならないかしら !!
とまで思いながら21時過ぎまで練習しましたが、解決方法は見つからず、、、。

万策尽きたことを認めざるを得ず、涙が止まりませんでした。

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審査当日。鉛のように重い足、泣き腫らした目で会場に行きました。


五~八段そして錬士の審査を約500人が受審します。


会場到着:朝7時すぎ
筆記試験:11~12時
一次審査:17時過ぎ
口頭試験:一次通過直後
二次審査:19時過ぎ

錬士審査は五~八段の審査が終わったあとに行われます。なので待ち時間がと〜〜っても長く、緊張感や体調をしっかり管理していないといけません。これこそ指導者として求められることでもあるのです。


筆記試験では得意なことが出題されて大満足。
ここで昨日までの稽古で落ち込んでいた心が少し上向きになりました。


次の出番まで約5時間。

他の受審者の射も見ましたが、地面にガサッと落ちる掃き矢など殆どありません。   


(ヤバッ!私大丈夫か?)

焦りと不安が再び襲ってきました。
大波となって。🌊

・今度こそ合格だ!と自信があったのに。
・ここ一年はかなりしっかり準備してきたのに。
・トータルで30年もやっているのに。
・錬士の審査は既に8回も受けているのに。
・自宅に道場があるから稽古もいっぱいやってきたのに。
・やっぱり外国で弓道をやっているから上達はムリなのか?
・でもフランス人でたった10年で受かっている人もいるのに。
・やはり私には才能がないってこと?





ここで神のお告げが聞こえてきたらバッチリだったのですが、それは、なし。


ネガティブな感情ばかりが出てきて、頭も背中もどんどん垂れてきます。


・日本に来るのに飛行機代・新幹線代・ホテル代など経費がたくさんかかっているのに。
・家族にもいろいろ負担をかけて日本に来ているのに。
・長年ご指導いただいている先生方をまたがっかりさせてしまう。
・応援してくれているフランスの仲間もがっかりさせてしまう。
・ここで合格できれば称号者の仲間入りができて、違うレベルのセミナーに参加できるのに、不合格だったらまたお預けか、、、


前日までの稽古で不合格になる覚悟はできていたはずなのに、不安はどんどん増すばかり。


実力がないなら不合格で当然。


でも恥はかきたくない。


エゴの葛藤が続きます。


「私はこんな不安なまま審査を受けたくない。技術的には過去最悪。一体どうしたらいいの?全然わからなーーーい (ToT)」


今地震が起これば審査は即中止になる❗
火事、爆発でも中止になる❗


そんなことまで頭に浮かびました。(^_^;)

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実技審査1時間前。

控室には500人ほどの人がいたけれど、私は僅かな隙間を確保し、壁に向かって坐り瞑想を始めました。心の動揺を抑えることが大事なので恥ずかしいなどと戸惑う暇もありませんでした。そして思いつく限りのサムシング・グレートにお願いしました。


「ご先祖様、仏様、観音様、天照大神、天之御中主大神、キリスト、ヤハヴェ、大天使、小天使、妖精、ホーリースピリット、過去の弓聖人、大先生、月、太陽、金星、冥王星、宇宙全体、、、、。どうか私の心を鎮めてください。」


心身ともに「降参」したのを認め、頭も空っぽにして、文字通り「神頼み」してみたのです。





10分ほどしたら落ち着いてきて、腹式呼吸ができるようになってきました。そのまま続けていると周りの雑音が聞こえなくなり、心が空っぽになってきました。




そのあと ピーーンとひらめきました。





【今日この場で審査を受けられるというのは幸せなことなんだ】と。





今日も弓矢をとって行射ができる。
上手とか下手とかは関係ない。
矢がどこに飛ぼうと関係ない。
私は今生きていてこの場にいる。
そのことを存分に楽しもう。
他人にどう思われようと関係ない。


私が30年間続けるほど好きなんだ。
ただそれだけでいい。
それ以外何も必要ない!



この思いは心の奥底までスーッと届きました。そして不安は一気に小さくなっていきました。

目の前にあった暗くどんよりした雲は消え、心は信じられないほど晴れ晴れしくなりました。

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召集がかかり控えの椅子に坐ります。審査の運営スタッフは知っている先生方ばかり。あっちを向いてもこっちを向いても目で頑張れよとおっしゃっています。


「矢道に刺さろうが屋根の上に飛ぼうが関係ない。堂々とやってこい!」
と送り出してくださいました。

いよいよ本番。


左足から入場。
5人立の代表(大前)として審査員長に深い礼をします。

後ろの5人と息合いをあわせながら自分の立ち位置に進みます。
作法通りに襷掛けをして、弓矢を構え、、、

途中で手足が震えそうになりましたので
「神様仏様、あとはよろしく!」
と祈り、周りの景色を遮断しました。


幅1m × 長さ28mのなが~~~い廊下に自分と的だけがある感じになりました。


弓の力を身体で受けて、自分からも弓と矢に命を吹き込む。
ただそれだけを味わい、集中しました。


自分がどんな動きをしたのかは全く覚えておりませんが、今この場に立てていることへの感謝が再び湧き上がってきました。



一本目の矢は的の真ん中に飛んでいきました。
見事に中ったのです。🎯

自分でも驚きました。😳

残心での余韻もすごく、武者震いしました。



5人のリズムは最高によく、スムーズに私の順番が回ってきました。

二本目の矢は外れてしまいましたが的の近く。
掃き矢で大恥をかく覚悟をしていたので私にとっては大満足の出来でした。

退場時のお辞儀には「これが今の私の射です。精一杯やらせていただきました。ありがとうございます。」という気持ちを、素直に込めることができました。

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前日までが最悪な状態でしたので一次審査を通過した時は本当に驚きました。


先生方にも後輩たちにも素晴らしい射だったと言ってもらえましたが、自分では何をやったのか全く覚えておりません。

頭で考えながら身体をコントロールしてもどうせ掃き矢だ。
ならば今日までの30年を信じて楽しもう!
ただそれだけでした。

二次審査が行われたのは19時半。
外は真っ暗気温は7℃、風あり。

手足の感覚もなくなっていたはずですが、射場に入ると寒さも緊張感も感じなくなりました。

その場にいることがただただ幸せで、他の4人のメンバーと一体となったような感覚で行射することができました。


この日錬士を受審したのは160人。
一次合格者13人。
最終合格者6人。


私も合格できましたが、正直信じられませんでした。

技術的には最悪の状態でしたので「頑張った甲斐があった!ガッツポーズ!」というような心境ではありませんでした。

お褒めの言葉も頂いたので見た目は良かったのだと思いますが、身体がどう動いたのかは自分では全く覚えておりません。

なので狐につままれた気分がずっと離れません。😣

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今回の審査では、私は天に身を任せきれたのかもしれません。

意図的にそうしたかったわけではありませんが、最悪の状態が続いたのでそうせざるをえなかった。

他に選択肢はなかった。

もし最悪な一週間を経験していなかったら、ここまで心底手放すことはできなかったはずです。


という意味ではどん底の一週間に感謝しています。


今生きていること
弓と矢を手に持っていること
ただそれだけで幸せであること


期待や結果を諦めるのではなく「手放す」ことによって、自分がいちばん大切に思っていることに気づくことができました。


弓道歴30年という記念すべきときにこのような素晴らしい経験ができたこと、本当に嬉しく思っています。


余談① 合格後の稽古。
翌日から通常の稽古が始まりましたが私の矢はやはり的に届きませんでした。審査の時の奇跡をまた体験したくていろいろ試しましたが、どうにもなりませんでした。日本での稽古はその後3週間もあったのに95%が掃き矢のまま。期待を手放すというのはどん底という実感があったからこそできたのかもしれません。

余談② 審査の朝。
最悪の状態でしたがいつもお世話になっているオラクルカードを引きました。
出たのは「一発大逆転」。

思いつくのは審査合格ですが、まさかねー。技術的に全く自信がなかったので「そんなことあるわけないやん!」と現実的に捉えていました。

ですが終わってみるとまさかの合格。

「偶然ではなく全てが必然」とはよく言われることですが、何気なく引いたカードに書いたあったことが現実となり、幸せ感に包まれました。



お読みいただきありがとうございます。

感謝いたします。

2017年5月29日月曜日

弓の梱包② Voyage avec des arcs japonais

Une autre idée de l'emballage des arcs japonais pour voyager en avion.

- une boite en carton (à acheter au magasin de kyudo)
- un pegboard
- des ficelles
- des morceax en bois ou en plastique (pour garder la hauteur)

国際線を利用する際、大切な弓をしっかり梱包できるこの方法もおすすめです。

- 弓発送用の箱(弓道具店にて)
- ペグボード
- 紐
- 高さを支えるもの(木片、プラスチックなど)


今回は四寸伸の新弓でしたので念には念を入れて梱包しました。






















ボードの穴を利用すれば、いろいろ固定できます。
せっかくなので大きな破魔矢も入れました。














この方法はとても頑丈ではありますが、持ちにくいです。
背が小さい私は片手では持てません。

数人で行動するなら、おすすめします。


この情報がどなたかのお役に立てば幸いです。

ありがとうございます。
感謝いたします。☺






弓の梱包① Voyage avec des arcs japonais

Voici une idée de l'emballage des arcs japonais pour l'avion.

【国際線搭乗時の弓の梱包について】

欧州〜日本間は縦・横・高さの合計が300cm以内という航空会社もありますし、地方便で小型飛行機になるともっと制限される場合がありますので、事前にきちんと確認することをおすすめいたします。


私はここ数年はこの方法で梱包しています。

- 家庭用プール・INTEXのホース(竹弓用)
- 包帯(幅広で長いものを5−6個)
- 厚手の弓袋(ハンドメイド)
- 引っ越し用ラップ

今回は竹弓2張、カーボン1張、グラス2張です。

竹弓は形がそれぞれ違いますので包帯で丁寧に巻き、できるだけ成りをあわせます。
カーボン弓とグラス弓の2張も包帯で巻いて成りをあわせます。
5張まとめてさらに包帯で巻きます。これでかなり頑丈になります。
太くなった弓に矢筒も巻きつけます。






竹弓はホースの中に。
















包帯巻きつけ終了。正面から撮影。



















側面。













ラップで全部を包んでみました。





ラップは上下だけの時も。
















重   量 : 7,5 kg
サイズ : 260cm x 15cm x 20cm。

Air Franceはイレギュラーサイズでも3Dが300cm、8kgまでということなのでギリギリセーフです。

別料金、片道80€かかります。

何か聞かれたときのために、スポーツ用品と証明できるもの(大会申込書、連盟パスポート、写真など)も常に携行しています。




どなたかのお役に立てば幸いです。
m(_ _)m






2016年11月25日金曜日

フランス人からの質問で私が一番怖がっていたこと③ 仮の自分像が本当の自分になる



フランスに来て数年間、

私は


奥様業と母親業以外に自分のやりたいことが特になかった。


というか、


それだけで既に充実していたし、

それ以外のことをやるなんて

考えてもいなかった。



そんな私にとって、

フランス人からの質問;

« アナタガ ヤッテイルコトハ ナーニ? »

は、とても怖いことでした。



自分が無能であること、

私自身というものがないということ

を見せつけられるような恐怖。


(今考えると私の勝手な思い込みだったのですが、)



当時の私はそれが精一杯。



無意識のうちにササッと蓋をして、完全防御。


心が空っぽだということを見ないようにしておりました。




フランス人に私の存在価値を認めてもらうために、

私は日仏の架け橋をする

という道を選びました。


それ以外にできることはないんだから、

とにかく実績を作らないと!!


(ここまでが①と②のまとめです。)

・・・・・・・・・・・・・


そう決めてから私は、困っている人がいると、即飛んでいき、ご相談に乗っておりました。


- 2時間ほどお話するだけで心が楽になった方。

- たった一度バスの乗り方をお教えしただけでフランス生活が劇的に変わった方。

- 大家とのトラブルも話してみたら大したことなく穏便に解決できた方。

- 手足がしびれていたけど、すぐ病院に連れて行けたので、大事に至らなかった方。

- 息苦しいから救急車を呼んで欲しいと言われたけれど、話している間に落ち着かれた方。

などなど


少しずつ実績が増えていきました。


それと同時に

フランス人にも

以前よりは自信を持って

「日仏の架け橋をしています。」


と言えるようになりました。



「こんな私でも、人の力になれるんだ!」


と、自分の中にも充実感がうまれてきました。

・・・・・・・・・・・・・


私のことを占ってみると、


誠実、信頼、真剣、責任感、嘘が嫌い

などの文字が頻繁に出てきます。

そういう性格もありまして、


日仏の橋渡しを何年も何年もやり続けているうちに

友人・知人にも信頼していただけるようになりました。


「お子さんについての相談事?とりあえずむっちゃんに連絡を。」

「フランス人とのトラブル?それもまずはむっちゃんに連絡を。」


という状況になっていきました。





ご相談の依頼はどんどん増えていきました。(⌒▽⌒)




内容も多岐にわたってきました。

- 同行通訳

- 翻訳(特に武道関連)

- 子育て相談

- 日仏言語教育相談

- 日本語個人レッスン

- パソコンメンテナンス(仏日)

- パソコン修理・部品交換

- 日本語書籍預かり・貸し出し

- 日仏関連イベント補助

- イベント宣伝

- 水道・電気などの簡単な修理(主人と)



我が家は何でも屋さんになりつつありましたが、

自分にできることがある!という充実度も

どんどん増えていきました。(^_^)


(続く)


フランス人からの質問で私が一番怖がっていたこと② 他人から見た自分像を作って自己防衛




フランス人からの質問で私が一番怖がっていたこと①
の続きです。



昔の私とフランス人との会話


« アナタガ ヤッテイルコトハ ナーニ? »

« エッ? オクサン ト オカアサン ノオシゴト ダケナノ? »

« アナタ ジシン ッテイウノハ ナイノ? »



こんなやり取りを何度も経験して、私が気づいた自分像は


ナーンダ、ツマラナイヒト。。。


そして、


ワタシニハ ミリョクガ ナイ 


というものでした。







奥様業と母親業は頑張っているけど、


« 自分のやりたいことに生きていない »





この思い込みは、その後の私を大きく縛りつけました。





まず、

「私のやりたいことって何?」

という問いに答えが出せませんでした。




【やるべきこと】はたくさんある。



それをやるのが私の役割なんだから、


それらがなくならない限り、


自分のやりたいことなんてできないでしょ。


やっぱり

母親業と奥様業を優先して


やらねば。



・・・・・・・・・・・・・・・・・


その後も初めて会うフランス人からは

« アナタガ ヤッテイルコトハ ナーニ? »


という質問が容赦なく続きました。



またきたよ~。(-_-)

またバカにされるよ〜。((-_-))




・・・・・・・・・・・・・・・・・


奥様業と母親業しかできない奴


と思われたくなくて、


私は


「日本とフランスの橋渡しをしています。」


と答えるようになりました。



細々とですが留学生のトラブル解決や翻訳などをしていたので、

あながち嘘ではありませんでした。



ですが当時の私は完璧主義者でしたので、(^_^;)

プロとして堂々とお金を頂いていたわけでもないのに、

日仏の橋渡しをしています、と言うなんて、


私は嘘つきだー。


と思っていました。




でも嘘でもそう言っておかないと、

私が無能者と見られてしまう。

それだけは何としてでも避けたかった。




仏文卒でもないし、フランス語レベルもまだまだ。


日本での学歴は通用しないし、

会社で培った営業力も、言葉が不自由なら無意味。

子どもを預かってくれる身内は、遠く離れたParisか日本。

ネガティブ要素なら事欠きませんでした。(^_^;)


自分のいいところなんて全然見つけられないのに、

それでも自分を守るためにフランス人に宣言できることは


【日仏の橋渡し】



それしかなかった。


本当にそれしかなかった。

(¯―¯٥)





・・・・・・・・・・・・・・・・・

フランス人から見下されるのが嫌で、

見栄を張って宣言してみる。

でも嘘っぽく感じてまた自己嫌悪。


この悪循環はいつまでも続きました。




ここから抜け出すにはどうしたらいいのか?





・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時の私が出した結論は、

嘘ではなく堂々と宣言できるように、

日仏の橋渡しを


「もうちょっと本格的にやろう!」


ということでした。

(続く)



フランス人からの質問で私が一番怖がっていたこと①


1995年秋、フランスへ留学しました。そのあと、今の主人と出会って結婚、そして第一子、第二子の誕生。
たった2年4ヶ月の間にこれほど多くの出来事を経験しました。

初めの頃はまだフランス語に不慣れでしたが、日々を充実させるために一生懸命努力しました。徐々に友人やママ友もでき、自身の奥様業や母親業に満足感を感じるようになりました。

しかし、私にとってそれだけでは十分ではありませんでした。フランスで初めて出会った人々からはさまざまな質問を受けました。「あなたはどこの国から来ましたか?」「日本のどこ出身ですか?」「フランスに来てどのくらい経ちますか?」「プロバンスでの生活はどうですか?」「日本が恋しくないのですか?」そして、最後に「あなたは何をしているのですか?」

当時の私は「主人は平日はパリで働いていて、子供たちも年子でまだ小さいので忙しくて…」と軽い気持ちで答えていました。しかし、この答えを聞くと、何人かのフランス人はがっかりしたような表情を浮かべ、会話が途切れることがありました。まるで私に興味を持たなくなったかのように感じられました。

日々楽しく充実していたけれど、子育てに忙殺される日々で自分自身のやりたいことにはなかなか時間を割くことができませんでした。私は一生懸命生きているのに、自分の魅力を発揮できていないとフランス人たちに思われていたのです。

(...と私が勝手に思い込んでいたのですが、それに気づくのはこれから15年以上先のことでした。)

続きは次回。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆さまへの感謝の気持ちでいっぱいです。


自分軸と天命を大切にし、ご家族や友人の自己成長をも支え、ともに国際的な人生まで導きます!