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2007年4月17日火曜日

帰省3 奥鬼怒




4月7日。浅草から東武鉄道で鬼怒川温泉へ向かう。今回の旅行のメイン:奥鬼怒ハイキング! 

鬼怒川温泉駅前でレンタカーを借りる。JAFの翻訳免許だったため、本部に確認する時間をとられるが、無事借りることができた。日本で運転するのは6年ぶり。オフシーズンの車道に車が少なく、2度ほど車線を間違える。

鬼怒川・川治の温泉街を抜けると山に入っていく。所々雪が残っており木々にはまだ葉がなかったがとても景色のいいところだった。野生のサルにも遭遇!これにはパリジャンのだんなが喜んだ。

約一時間走ると夫婦淵温泉到着。ここから約2時間歩くのだ。残雪も凍っているところがあったためゆっくり歩いた。川を流れる水の音を聞きながら、子供たちは雪に足跡をつけながら、、、。途中、猿以外、誰にも会わなかった。何という贅沢! 滝の下はまだ凍っていたが、日が差していたため、歩いていても寒くはない。こんなに気持ちいいのは初めて。(東京metroを忘れるのにはもってこいの環境だ。) 

その日の宿は日光澤温泉。しっかりした木造に昭和を感じる。露天風呂もシンプルな作りだが、ここまでの道のりを思いながら湯につかるとそれでもう十分であった。

この日光澤から日本一高所にある奥鬼怒湿原への道があるのだが、このすぐ裏はひざまで埋もれるくらい雪が残っていた。

帰省2 東京Metro

4月6日。ビジネスクラスでゆっくり休むことができたので、成田に朝7時に着いてからも新宿(弓道荷物預け)、浜松町(運転免許翻訳)、九段下(荷物預けるためにチェックイン)、上野(パンダ)と、子供と一緒に動き回った。

4年ぶりの東京。移動には地下鉄が便利になっているはず!と期待していた。「パスモ」が爆発的に売れているという噂は知っていたし、これを使うと便利なはず!と思い込んでいた。しかも目に付くのは「東京Metro」。フランスに長く住んでいるため、Metro=地面の下を走る電車、と信じて疑わなかった。Non,non,non.東京メトロとは昔の営団が名前を変えただけで、都営との乗り換えは全~~然変わっていなかった。

ーパスモは発行料500円、ひとり一枚必要。子供も然りということで諦める。
ーJRに乗り換える切符はずらりと並ぶどの自販機でも買えるわけではない。
ー一万円札の使用も機械を選ばないとだめ。
ー大人二人、子供二人の切符を一度に買えない。
ー乗り換えのたびに専用改札に切符を通さねばならない。(→「乗り換え改札」とは日本語でしか書いてないところ多数。外人一人とハーフを二人連れているととっても不便!!) 

旦那は私と別れたあと1週間東京で過ごす予定だったので、地下鉄の切符の買い方を教えたかったのだが、まず私が何度も間違えた。パリジャンの旦那は大笑い。よくここまで複雑に作ったね、と。

何度も間違えてわかったが、地下鉄のポケット地図はよ~~く見れば東京Metroと都営地下鉄の路線の幅が違う。これを見逃していた。幅が広いところと狭いところ両方を通るなら、乗り換え切符を買わねばならないのだ。それならちゃんと説明しろ! 英語の地図の裏には8項目も並べて「東京の地下鉄の乗り方」が書いてあるではないか! どの駅員さんよりも、この英語の説明のほうが詳しかったぞ。

どうしてパリみたいに回数券を作らないのか? どうしてパリみたいに、改札を通るのは始点と終点だけという風にできないのか? それから、もっと英語の説明を増やせ!

、、、ちょっと言葉が荒くなってしまったが、日本語を理解していない私も悪かったと思う。Metroとは東京では固有名詞であり、「地下を走る電車」ではないのだ。下調べが足りなかった、、、。

最初に東京Metroを利用したのも悪かった。JRではとっても親切に教えてくれたし、自販機もわかりやすかった。

こんなこともあり乗り物トラブルが絶えなかったが、一人で東京を1週間歩き回った旦那は、「もう地下鉄もばっちり。東京も楽しいところいっぱいあるよ」だと。

2007年4月10日火曜日

帰省1 パリー東京


今回はパリまでの移動にTGVを利用。CDGに到着後、エアーフランスのカウンターに並んだ。すごい人だったが時間にも余裕があり、行儀よく順番が来るのを待つ。30分、、、1時間、、、列はほとんど進まない。前日に欠航があったらしいしここはフランスだ。これくらいの列は当たり前?

それからしばらくするとさすがに不安になり、前に進んで聞いてみる。「○○便に乗るんですが、、、」「え~~~。今日の??」「勿論今日のです。」 引きずられるようにカウンターに進み待つこと更に30分。なかなかチケットが発行されない。予定時刻20分前に荷物に行き先コードが張られる。でもイレギュラーサイズの弓は「あちらに持って行ってください」「え~~、あんな向こうに?」と愚痴を言いつつも走るしかない。ここはフランスなのだ。何を言っても変わらない。

予定時刻15分前。やっとチケットを手にした。ビジネスクラスが四席。やった~~!子供連れでは絶対ありえないと思っていたが、エコノミー価格でビジネスクラスが利用できるんだ~。エアフラのマダム、ありがとう。だから時間かかってたのね。途中で「ビジネスクラスで調整中です」とか何とか言ってくれればよかったのに、、、待たされてる間に「またかぁ。フランスではスムーズに行くことってないよね~」とか「古いシステム使ってるんじゃないの?」とか(日本語で)言ってしまったよぉ。全部取り消し! ありがとう!!

※今回は貯まったマイレージで4人分のエコノミーチケットを取ってたんです。=財布の中から現金が出ることなくビジネスクラスに乗れました。ラッキー!

2006年6月20日火曜日

うちのこどもたち 書道

昨年同様、日本帰省中にこどもたちが書道教室に通い始めた。先生は男性。

次女は左利き。昨年始めて教室に行った時、「どっちの手で書かせるんだろう?」と、私は興味を持っていた。生まれてからずっと、右手での作業を強制したことがなかったからだ。

「先生も手も足も左ばっかり使ってるよ。でもお習字の時は右手。そのほうが簡単だから一回やってみる?じゃあまず先生が書くのを見てて。」

このたった五分であっさり右手になった次女。先生の「トンと筆を置いてスーッと滑らせてまたトンと止める。トン、スー、トン。」

スケートのように筆を滑らせて、トン、スー、トンのリズムで書く。慣れない右手作業ではすぐに疲れが出るだろう(イライラしてくる)と思ったが、そんな気配は全くなし。何と一時間半も書いていた。(この教室では正座は必須ではなく、足を組んでも伸ばしてもよいのです。何時間居てもOK。)子供の集中力は、相手次第と実感。

BGMはジャンル問わず。休憩、雑談常時可。大人に混じってのこの時間はこどもたちも楽しいらしい。今年も、学校で二時間の習字の直後にも行ったし、たくさんの宿題よりも先に「お習字に行く!」であった。

親の私? 去年は頑張ってみたけど、今年はやってません。長時間自分の下手さと向き合うのは弓道だけで十分、、、。

2006年6月15日木曜日

うちのこどもたち 漢字検定

日本に帰省して最初の日曜日に漢字検定を受けた。フランスを出発する前は、子供たちは学校の期末試験やら学年末イベント、私自身も頼まれた仕事で殆ど家にいなかったので、漢検の勉強など全然出来なかった。

次女の「もういいよもういいよ。落ちてもいいじゃん。また来年受ければいいじゃん」という言葉に励まされ(?)、勉強ゼロの状態で会場に向かった。

まずは私が2級(高3レベルらしい)。読み、部首、熟語の構成は悩むことなくこなしたが、四字熟語の完成(二文字入れる)と漢字の書きにはお手上げだった。頭の中にはボヤ~と漢字の一部が浮かんでくるのだが、書けない!思い出せない! ・・・不合格やろな~。今度受ける時は四字熟語強化だ!

子供二人は9級(小2レベル)を受験。長女は合格圏内にいると思うが、勉強嫌いの次女は、半分も書けるだろうか?と心配していた。書けないのが多いとその後の不機嫌度がUPするから親としてはそれが怖い。もう漢字なんか大嫌い!と言われたらどうしようか?

子供の受験する教室には小学生2~3年の子供が150人ほど入っていった。参考書も閉じてくださいという指示だったので、鉛筆消しゴム、それと受験票を持っていけばOKのはずなのに、子供たちについて保護者がどんどん教室に入っていった。何をするのかとみていたら、、、「あなたの席はここよ」「鉛筆はこれでいい? 消しゴムは?」「鉛筆は3本出しておきなさい」「受験票はここに置くからね」・・・

机には名前入り問題用紙が既に置かれていたから、席を間違える子はいないはずだ。教室には係員が5人。そしてマイクできちんと説明していた。係員が「筆箱も片付けてください」と指示を出すと、横で保護者が「筆箱は片付けるのよ」と繰り返していた。それよりも何よりも、教室の入り口には「受験者以外立ち入り禁止」と書いてあったのだ。(ついでに言うと、受験票には「お車での来場お断り」とあったのに自家用車が校内にたくさん乗り入れていた)

この光景には私がぞっとした。私のように教室外で「頑張って!」といって子供を送り出した保護者は果たして何人いたのだろうか?(あんまりいなかった気がする。)私のほうがおかしいのだろうか? 日本の親はこんなに子供にかまっているのかぁ。子供たちも自分でできる年齢のはずだし、いったいどう思っているのだろう? 

話が逸れてしまった。そう、子供たちの受験結果。教室から出てきた二人は全部書いたと言っていた。まったく書けないのは殆どなかったらしいのでホッとした。(漢字嫌いにならないで済みそうだ) 試験終了後に配布された解答を見る限り、次女もギリギリ合格しているかもしれない。合格通知は7月末予定。

うちのこどもたち 体験入学3年目

6月9日から、子供たちの小学校体験が始まった。正式には転入したので「体験入学」とは言わないのだが、日本語の勉強が十分出来ているわけでもないので気持ちはやはり「学校体験」。

4年生、3年生には不釣合いなほどピカピカの赤いランドセル。(年に1ヶ月ちょっとしか使わないから当然?) その中には教科書や指定のノート、大きい割には物がたくさん入らない日本の四角い筆箱、歯磨きセット、名前入り雑巾、水筒、前日買ったばかりの上履き(名前もしっかり記入)、体操服(真っ白のTシャツは日本ではなかなか見つからないのでDecathlonで事前に購入。300円)、、、日本の小学生は持ち物が多い。

時差ぼけで午前3時に目がさめたのだが、子供たちは学校に行きたくてたまらないらしい。ランドセルの中身を何度もチェックしていた。

登校は朝8時。前日に10分ほどクラスに顔を出していたので、二人は躊躇なく校舎の中へ。私も3年目となると事務作業をさっさと済ませて帰宅。

長女のクラスは40人という大所帯。その中にハーフが既に3人いるらしい。韓国、英国、そしてフランス。うちの子も入れるとハーフの女の子が四人という国際色豊かなクラスだ。

次女のクラスは28人。「先生がとってもかわい~ぃの!」としきりに言っていた。昨年の一番のお友達がいなくてちょっとがっかりしていたようだが、みんなが覚えていてくれたので楽しく遊んだようだ。和式トイレも今年は一回目で成功したらしい。

放課後に長女の友達がまた遊びに来てくれた。英国ハーフとフランスハーフ。うちの二人を入れて欧州系4人。こちらに定住ししている二人はバリバリの博多弁。うちの二人は半分もわかってなかったはずだ。後で聞いたら「全部わからんでもいいといいと。」(←既にちょっと博多弁)

その四人の会話。
「ねえねえ、ヨーロッパと日本、どっちが好き?」
「景色はさ、むこうが絶対よかよね~。緑も多いし。」
「そうね、日本は景色きたないもん。ビルばっかりやし。」
「でもさ、買い物するんやったら絶対日本やん。洋服とかかわいいのいっぱいあるのは日本やし、、、」

帰り際、二人が電話番号を教えてくれた。「私ケータイしか使わんけん、直接ここに電話してね」

・・・うちの子がケータイ欲しいとねだらないことを祈るばかりである。

日本行き 飛行機&到着初日

先週日本の実家に着きました。Marseille-Paris-Nagoya経由。

パリの空港での待ち時間はターミナル循環バスに乗ったりT2のAからFまで歩いて往復したり、子供と一緒に“何とか”過ごしました。でも改めて感じましたね。CDGって、全然面白くない! 子供の遊び場作って欲しい!!

飛行機の中では3人で一通りのゲームを試し、その後は自分たちの持ってきたSUDOKUを数ページこなし、あとは映画を数本見てました。子供たちも眠くなったら「寝る」と宣言して目を閉じてました。(JALのプレゼントには子供たちも見向きもしてませんでした。「またこれかぁ」)

名古屋ではお風呂に入りました。飛行機を眺めながらの大浴場で日本へ帰ってきたことを実感。

福岡空港到着直前は出身大学上空を通過。夕方なので馴染みのある道路や建物がよく見えました。懐かしい福岡! 毎回この福岡上空で目頭が熱くなるのですが、そういえば昨年から普通に眺められるようになったような気がします。フランスとの往復に慣れてきたかな?

翌日は朝九時に小学校へ。既に編入するクラスも決まっており、担任の先生が10分ほど子供たちを教室に連れて行ってくれました。「明日から来ます」の挨拶をしたらしいのですが、○○ちゃんがいた! △△ちゃんもいた!と、二人は大騒ぎでしたア。

そのあとは3人で区役所へ。毎回嫌な手続きです。案の定「短期であれば住民票を入れる必要は内容に思われますが、、、」とやんわりと言われたので、こちらもやんわり口調であーだこーだ理由をつけ、何とか手続き済ませました。戸籍抄本を取り寄せていなかった為(親子関係が証明できない)、その確認に時間がかかりました。

無事に国民健康保険証と子供たちの小学校転入証明書がもらえれば何も言うことありません。さっさと区役所を後にする。

数件横では某アパレルが社員販売セールをしていたので、昔の仕事仲間に挨拶に。髪の色の違う子供が一緒だとワーワーうるさいんで(こんなのがお似合いですよ)、売上には貢献せずに外に出ました。

そして子供たちが学校に行くのに絶対必要な「上履き」を買いにダイエーへ。天神にはこれだけお店があるのに、上履きはここにしかないんです。

これで日本第一日目の必須事項、無事終了。

家に戻ると、何と、お友達が2人遊びに来てました。1年という時間を感じないほど仲良く遊んでたので、見てて嬉しくなりました。毎年来てて本当に良かったです。

2006年3月11日土曜日

一時帰国と住民票

日本での卒園式の後、家族でのんびりと温泉旅行でもしてフランスに帰省する予定であった。そこへ区役所から呼び出しが来た。長女の小学校入学手続きについてである。

昨年日本を出る間際にバタバタして住民票を抜かずにそのままにしていたのだが、そのため彼女は4月から義務教育対象者となっていたのである。近くの小学校からも「義務教育除籍届を区役所に出して欲しい」と2月から言われていたのに、それもすっかり忘れていた。

区役所へ足を運んでみると、「住民票がある限り、お子様には校区の小学校に通う義務が発生します。除籍届だけではなく住民票も抜いてもらわないと、学校名簿には名前が残り、欠席扱いを受け続け、システム上、最低評価の通知表が毎学期発行されてしまいます。お子様が将来日本で働く場合に義務教育が最低評価だとお困りになると思います」とのことだった。

除籍届なるものにちょっとサインすれば済むのかと思っていたところ、予想外のことを言われたため、「ちょっと待って」と一呼吸置いてもらった。毎回帰省するたびに役所で長い時間待たされて転入手続きをするのははっきり言って面倒だし、第一、一度住民票を抜いてしまうと、ある知人のように「一時帰国ぐらいでは住民票は作れません」と言われる恐れもある。住民票がないと国民健康保険も使えなくなる。私が「できれば住民票は残したい」と言い張ると、「ここF市では実態に沿う行政を心掛けているので、日本人がたとえ短期でも生活をするのなら、転入を受け付けます」と念を押してくれた。面倒でもそれが実態なのだから、毎回帰省するたびに転入・転出手続きをして欲しいとのことであった。納得、了解。

どうも私は役所に行くとスムーズに事が運ばない。今回のやり取りは途中六法を開いて説明を受け、約1時間かかった。次の帰省時は子供が二人とも小学校である。聞いたところではまず転入届を出し、入学承諾書を発行してもらい、それを小学校に持って行くだけでいいそうだ。

(ここまでは、2003年3月の話。)

その後毎年帰省した翌日は区役所に行くのだが、毎回「1~2週間だけで帰りませんよね~短期なら旅行者として滞在できますから」とか何とか探りを入れられる。私も毎回「そんなに早く帰らないでいいことを願ってま~す」と、にごしている。

2006年3月9日木曜日

うちのこどもたち 卒園式当日

卒園式の朝、私は3年前の入学式と同じ服装で、主役の子供には制服を着せ、園へ向かった。行ってみると、卒園児だけでなく、保護者の胸にも小さな花が飾られ、「本日はおめでとうございます」と在園児保護者に深々と礼をされた。そうなのだ、日本では卒業とはおめでたいことなのた。すっかり忘れていた。体験入学の身分なので皆にお辞儀されても今ひとつピンと来なかったが、他の方には同様のお祝いを述べてまわった。(とりあえず皆と同じことをしておこう。) 先生への色紙に一言添え、綺麗にデコレーションされた門のところで記念撮影もした。

準備段階では滑稽に思える部分もあったが(多すぎる記念品、保護者の服装)、卒園式自体は予想に反し、とても感動的であった。日本にいれば音楽会、お遊戯会、運動会など、大勢の前に立つ機会が年に何度もあるが、我が子はそれらが殆どないフランスの幼稚園生活が中心で、日本でもそれらを見たことが全くなかったのだ。その彼女が、皆と歩調を合わせて会場に入場し、名前を呼ばれたら「ハイ!」と大きな声で返事をし、背筋を伸ばしてひとりで堂々と歩き、証書を受け取り、きちんと脇に抱えて席に戻り、その後は皆と一緒に園での思い出を語り(家では聞いたことがないしっかりした日本語だった)、たくさんの歌を間違えることなく歌っていた。その歌も、親の胸にジーンとくるフレーズばかりで、ここの幼稚園生活でいかに自分の子供が成長したかを振り返らずにはいられないものであった。幼稚園側の演出力に脱帽。成長の節目に、次の学校生活への出発に、このようなセレモニーを経験するのもいいものである。

式の後には謝恩会が催された。近くのホテルでの昼食会なのだが、コースメニューの一品一品にアレルギー素材がないか、偏った内容でないかチェックを入れ、その他にも赤ちゃんのいる方の席はもちろん、全員の席順にもすんご~~く気を使ていた。ゲーム、歌、DVD映像試写、最後は先生方への花束贈呈ありで、大人たちは涙で終了。泣いていないのは子供たちだけであった。

この会場を出るときは、先生方手作りのクッキー、ネームプレート、そして園児ひとりひとりへのお手紙が渡された。

うちのこどもたち 卒園式の服装(保護者)

日本の3月は街の雰囲気も保護者の気分も“そつぎょうしき”であった。朝の情報番組で「卒業・入学式の服装」という特集もやっていた。保護者の服装についてであったが、「卒業式は金ボタンなどの華美な服装も容認できるが、入学式は初めて先生や保護者と顔を合わせる場なのでシンプルで無難なのが良い。」のだそうだ。うむ、わざわざTVが親の服装のお世話をするのか~と見ていたが、、、そう言えば以前、苦い経験をしたことを思い出した。

3年前、この幼稚園で入学式を迎えた時だった。それを想定していなかったので、帰省の際にはたいした服を持って帰っていなかった。仕方なく日本の箪笥の中を探し、奥底に眠っていた紺の地味~なジャケットをみつけた。式に着て行けそうなのはこれだけ。

あまりに地味なのでアクセサリー類を(フランス風に)多めにつけて参列したのだが、他のお母様方はシンプルなパステル色のスーツに真珠のネックレスのみ。

そうだった、日本はこうだった~~。昔、服飾の営業をしていたときも「入学式、卒業式にはこれでないとおかしいですよ」と言いながら真珠をたくさん売ってたのに~~、どうしてこんなことを忘れていたんだ・・・。 

とにかく、私はその場で自分が浮いているような気がしてならず、途中で派手で目立つキラキラを隠れながらはずしていった。フランスでは周りを気にして服を選ぶことはそうないが、日本へ行くとやはり人の目が気になってしまうなあ。

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話を戻そう。3月も第二週目となると、公園での保護者の話題も卒園式の服装についてとなった。「通販で注文したのが届かないからどうしよう」と心配するのはまだ序の口。「何着ます?何色?どんな形?スカートの長さは?ジャケットの形は? ボタンの色は?ポケットの位置は?髪型は?靴は?バッグは?」と事細か~~に全員に尋ねまわる人もいたのだ。すっ、すごい! フランスでは絶対にありえない質問だぁ、とあっけにとられてしまった。

だがこの人のおかげで当日を迎えることなく、皆の服装の‘全て’が分かってしまったのも事実。当日その通りの服装のお母様方が現れた時、私は笑いをこらえるのに苦労した。

うちのこどもたち 卒園式前

数年前、2月中旬~3月末に里帰りをしたときのこと。毎年お世話になったところで長女が卒園式を経験した。今回はその話を少し。

例年通り、フランスから帰省した翌日にW幼稚園に顔を出した。「あら、久しぶりね。また来たの。」と気さくな挨拶。10ヶ月という時間を感じさせないものだった。しかし園の子供たちはひとまわりもふたまわりも大きくなっていた。

卒園式は3月14日。準備は着々と進められているようで、学校からは
「卒園式に参加しますか?」
「参加されるなら卒園証書はどうされますか?」
「卒園写真は?」
「記念品は?」・・・。

この幼稚園には合計で4ヵ月半ほどしか通っていないので“卒園”とはいえないのだが、せっかく卒園式という‘フランスにはない’セレモニーに参加できるのなら、皆と同じようにしてあげたいと思うのが親である。
「他の子と同じようにしてください。」と返事をした。

すると、
「卒園証書は1600円、写真は400円、記念品のマグカップは200円、それから、、、。」 
と、一品一品の値段表を渡された。そっか、タダじゃないのかぁ。一括でいくらと言ってもらった方がありがたいのだが、最近は「詳細がわからないと何に使っているのか分からない」と、父兄から苦情がくるそうだ。

因みに式で頂いたものは、
カラー写真入り卒業証書(例の丸い筒とともに受け取るのかと思っていたが、真っ赤で頑丈な額に入ったものであった=そのまま飾れる。)
クラス写真
子供の直筆入りマグカップ
クラス全員が自分の似顔絵を書き、それをプリントした布製手提げ
紅白饅頭(これだけは昔と同じ。懐かしかった。)
思い出アルバム(歌、行事、みんなの絵、連絡先etc.)
3年間の思い出が詰まったDVD

日本の幼稚園って何かと準備が大変そう・・・。

2006年2月27日月曜日

うちのこどもたち 幼稚園体験入学

5年前になる。3歳と4歳の娘を連れて4・5月の2ヶ月間、日本へ帰省した。2人を日本の学校(幼稚園または保育園)に行かせるためである。フランスの幼稚園を休ませることになったが、「家庭の事情で」という手紙一つで了解され、特に問題はなかった。

電話帳・イエローページの幼稚園・保育園リストを日本から取り寄せ、実家からの近さを優先してフランスから連絡をとった。定員いっぱいというところが多かったが、「短期でもOK」の返事は5件目の市認可の私立T保育園でもらった。出足は上々。

帰省した翌日、2人を連れてT保育園を訪問。「いいですね、2つの国を行き来できるなんて。在園児にもいい刺激になります。」よく言われる言葉である。聞くたびにその“よい環境作り”をするのはこの私だと気も引き締まる。雑談しながら書類を渡された。福岡市提出用。氏名・現住所・生年月日の他は、両親の勤務証明書、保育園に預けなければならない理由、家庭内の65才未満(=まだまだ子供の面倒が見れる年齢)の大人全員の勤務証明書(若しくは健康上の理由で面倒が見れないという‘医療証明書’)が求められていた。

私の勤務証明書などあるはずがない。昨日フランスから帰省したばかりだ。私の両親も引退したばかりで65歳未満、至って健康、家で子供の世話ができる年齢ということになる。・・・ということは3人分の勤務証明書が必要? これは事業主の知人に頼んで偽書類を作ってもらう方法もあるが、家庭内の3人が同じ所で働く? しかしこの書類をクリアしても保育園に預けなければならない理由も相当練って書かないと不許可になるかも・・・。園長には正直に「日本の生活を同年齢の子供の中で学ばせたい」とは説明してある。この思いに賛同してはいただいたが、市への提出書類はきちんとそろわないと困るとのこと。当然である。「書類を提出してから許可が下りるまで約2週間、新入園は毎月曜日なので、早くても○日からですね。」とも言われた。え?じゃあ3週間後?そうなると通園は正味1ヶ月しかできないことになるではないか・・・。

T保育園を出た後、違うところを訪ねようと公立A幼稚園に行ってみた。行ってびっくり。公立は4歳と5歳の2年だけなのだ。何で? フランスでは3歳未満は保育園、3~小学校前は幼稚園とはっきり分かれているのに、日本では4歳児が保育園だったり幼稚園だったり、、、。

幼稚園と保育園の違いをはっきりさせたくなった。120万都市の福岡に公立幼稚園はただ1つ、保育園も市認可の私立ばかりなのだ。とりあえず市役所保育課へ。ここで愕然とする。福岡市では(‘日本では’といいたいところだが、そうであってほしくないという望みを持ちつつ、福岡としておく)幼児は家で面倒を見るのが基本。子供は親といるのが一番。保育園(0歳~6歳の未就学児)は仕事を持つ親のために存在するのであって、集団生活を通して情緒豊かな子供を育てるなどという主旨ではないということである。え? 本当に? 私の思っていたこととは根本から違いすぎた。この人の言う事が本当だとすると、フランスから来て体験入学させるなど、論外ではないか。

しかしめげずに、今度は市の教育委員会を訪ねた。答えは同じような内容ではあったが、大分穏やかに話が出来た。我が家のような場合は私立の幼稚園をあたったほうがいいだろうとのアドバイスを受けた。

ついでなので小学校の体験入学方法を聞いてみたが、こちらのほうは義務教育なのではるかに簡単、現地保護者が住民票と確認書(‘この子は○月○日~○月○日の期間、確かにこの住所に滞在します’の一筆)を持って校区内の学校へ行けば受け入れてくれるとのこと。シンプル極まりない。(現在はそうしてK固小に通ってます)

帰宅してから再検討してみた。最善策はどれであろうか?
① T保育園に行けるよう、書類を作り上げる。
② 無認可の保育園を探す。
③ 知育を売り物にした民間塾を探す。
④ 私立幼稚園を探す。

①には、大人全員の勤務証明書を得るために知人に迷惑をかけねばならない。=嘘をつくので気が引ける。給料によって保育料が決まるのだから尚更だ。
②を探してみると、保育時間が夕方~夜中と、客層が違うことに気付く。
③は1日預かってくれるところは3歳児までであった。

となると④しかなさそうだ。通園時間が9~14時と短いのがネックだが、変なところには通わせたくない。行動再開。まずは一番近いT女学園付属幼稚園。私が通ったT女学園高校の系列である。幼稚園受験のある有名校になっていたが、インターネット上では『英語も取り入れ、国際感覚豊かな子供を・・・』と謳っており、私の目的とも一致しそうな雰囲気であった。・・・が、直接訪問すると以外や以外、「短期で部外者が来ると園児が混乱するのです。それに日本語はちゃんとできるのでしょうか?」との言葉。‘国際感覚’という教育理念とはかけ離れた感じを受けたのは私だけであろうか?学校は見かけによらないものである。

次の訪問先は受験校ではなかったが、日本語が通じるのかと何度も質問された。何とか意図を理解してもらえるには至ったが、結局空きを待っている人が既にいるのでその方を無視して優先的には受け入れられないとの返事。同じ拒否されるにしてもこれには納得。3つ目は仏教系。お寺と併設で異文化に触れるにはもってこいである。空きもあり、OKが出た。在園児にもいい刺激になると理解してもらえたし、私も先生にも刺激をと、日仏の違いをいろいろ語った。そして書類。ここは住所氏名以外は特に必要なしだったが、入学金(ひとり10万)と制服代(ひとり6万)を見て、私は唖然とした。その他に月謝がひとり2万6千円必要なのだ。2ヵ月通わせるにはあまりに高い・・・。

値段に納得できなかったのでもう1件あたってみた。私立はどこも同じと諦め気分で、何回言ったかわからないセリフを繰り返した。「フランスから来て体験入学させたいのですが・・・」 ニコニコ顔で即「いいですよ!」何と何と、今度は入学金なし、制服は週1回着るか着ないかなので、余っているのを貸してくれるとのことであった。嘘のような申し出に耳を疑い、この条件を数度確認した。これまでの経緯を話すと、園長は「昨年は純粋ロシア人の子供が来ましたよ。英語も通じませんでしたけど楽しかったです。その前はアメリカ人で・・・」と話し始めた。手持ちの現金を出すと、「それより、明日が始業式なのでとりあえず制服を持って帰って袖をもうちょっと曲げてやってください」と言われた。

この幼稚園はひらがなの勉強も英語教育もなく、福岡では不人気のようであったが、先生方だけでなく、保護者の方々も実にいい方ばかりで、子供達も活き活きしていた。道で会うと遠くからでも「○○ちゃ~ん、お~は~よ~!」と声をかけてくれるし、大人にも積極的に話しかけてくる。日本に行くと遠巻きに、しかし聞こえるように「ハーフじゃない?」とささやかれることが多いので、逆に遠慮なく話をしたがる子供を見ると嬉しくなってしまう。地元の小学校では「ここの卒園児は周囲への思いやりがあり、落ち着きもある」と評判もいいらしい。

この幼稚園には翌年も1ヵ月半受け入れてもらった。その次の年も2・3月に再びお願いした。